鞆は港町として近世以来栄えました。船で人や物資を運ぶのは、今日にいたるまで最大の輸送手段です。瀬戸内海のほぼ真ん中に位置する鞆の港は、東西交通の要であり、明治になって鉄道が敷かれるまで、その機能を昔から維持し続けました。
江戸時代、鞆の町は船乗りやさまざまな商人たちだけでなく、異国の賓客が立ち寄る観光スポットでした。潮を待つ間の数時間から数日間の滞在まで、多くの人たちが鞆に立ち寄っています。とりわけ幕末から明治への激動の時代に、その転換を担った人たちが鞆に立ち寄り、鞆の豪商たちがそれを支えました。残されている史料からだけでもそのドラマを伺い知ることができます。
歴史の中で鞆の町は、さまざまな意味をもっていました。それは鞆の町を見下ろす高台に立ってみるとよくわかります。近世の始まる頃から瀬戸内海の海上交通が発達するにつれ、鞆の持つ意味が少しずつ変化してきました。瀬戸内海を縦横に活躍する水軍の拠点として、遥か四国を見渡すことのできる大可島の意味は大きかったと思われますし、江戸時代、鞆の民を支配し、海上交易を一手に納める鞆城主は鞆湾全体を見渡せる場所が必要であったと思われます。多様なビューポイントから鞆を眺めると、鞆の町はそれぞれの時代に応じて多様な顔を持っていたことがわかります。
鞆の町には昔から、海の漁で生業をたてて暮らしている人たちがいました。そうした人たちとともに、船を持ち、交易の仕事をし、あるいは数多く立ち寄る船乗りや客たちを相手にさまざまな商売をする人たちも暮らしていました。これらの人たちの暮らしぶりが、江戸時代から残る街並や商家、そして鞆の人たちが受け継いできた祭りや行事に、そしてなによりも街角で出会う鞆の人たちの中に、その風情を感じとることができます。
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